フランス中部の都市オルレアンはロワール川流域の有名な都市です。
ロワール川とオルレアンの街
GIRAUD Patrick - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=949405による
地理や周辺地域
ロワール川流域には世界遺産ロワール渓谷があります。
オルレアン、ブロワ、アンボワーズ、トゥール、モンソロー、アンジェといった都市が有名で、古城(シャトー)が数多く存在するので「フランスの庭」と呼ばれています。
たくさんのシャトーがあります
Maximilian Dörrbecker (Chumwa) - 投稿者自身による作品Using maps-for-free.com for the topographic background, this map for the orientation map of France, and this sign as draft for the motorway numberings.The sources of the images of the Châteaux are: Amboise, Angers, Azay-le-Rideau, Beauregard, Blois, Chambord, Chaumont, Chennonceau, Cheverny, Chinon, Gien, Loches, Saumur, Sully-sur-Loire, Ussé, Valençay, Villandry., CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3759452による
名高いものでブロワ城、アンボワーズ城、モンソロー城、アンジェ城など各都市に城があり、トゥールやオルレアンには目立った城は現存しませんが、それぞれトゥール大聖堂、オルレアン大聖堂といった大きな教会があります。
ブロワ城
コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Calipsだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による作品だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=931800による
シャンボール城
こうした古城を見て回る古城観光はとても人気があり、トゥールをその拠点として日帰り、あるいは1泊、2泊といったツアーが数多く企画されています。
少なくともコロナ前までは、ですが。
経済や観光
オルレアンは情報や電気産業、化粧品製造業などが盛んで、資生堂も進出しています。
もちろん観光客も毎年多く訪れています(コロナの状況は別として)。パリからもそこそこ近いのでパリ観光のついでに寄るみたいなこともできると思います。
オルレアン大聖堂とジャンヌダルク通り
Yves LC - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34965453による
ネーミング
ここで一つ小ネタなんですが、アメリカ南部にはニューオーリンズという都市があります。
ミシシッピ川河口にある、とても治安が悪い、ジャズ発祥の都市ですが、名前の英語綴りはNew Orleans。そして、フランスにあるオルレアンの綴りはOrleans。
ジャズの伝説、ルイアームストロング
そうなんです。ニューオーリンズはつまりニューオルレアン、「新しいオルレアン」という意味なんです。
ただ、考えてみるとこの「ニューほにゃらら」という感じの名前を持つ都市って結構あって、例えばニューヨーク(米)、ニュージャージー(米)、ニューハンプシャー(米)、ニューサウスウェールズ(豪)、ニューファンドランド(加)などなどたくさんあります。
これがなぜかというと、かつて植民地だったからです。
実際、上で挙げたアメリカ、オーストラリア、カナダは長い間イギリスやフランスの植民地だった国々です。
北米はイギリス、フランス、スペインの植民地だった
Pinpin - travail personnel from Image:Nouvelle-France1750.png1) Les Villes françaises du Nouveau Monde : des premiers fondateurs aux ingénieurs du roi, XVIe-XVIIIe siècles / sous la direction de Laurent Vidal et Emilie d'Orgeix /Éditeur : Paris : Somogy 1999.2) Canada-Québec 1534-2000/ Jacques Lacoursière, Jean Provencher et Denis Vaugeois/Éditeur: Sillery (Québec): Septentrion 2000., CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2858417による
「新しい」場所があるということは「古い」場所があるわけで、ニューを除いた地名(ヨーク、ジャージー、ウェールズなど)というのは多くの場合かつて世界の面積の4分の1が領土だったイギリスの地名だったりします。
ニューファンドランドなんかは直訳すると「新しく見つかった土地」ですから、もうそのままですよね。
ニューオーリンズもかつてフランス領ルイジアナで、フランスの植民地でした。ただニューオーリンズの場合は、オルレアンの地名にニューをつけたのではなく、オルレアン公フィリップ2世というオルレアン家の王族にちなんで名付けられました。
実際、王族にちなんで植民地を名付けるこのスタイルも結構ありまして、例えばアメリカにはジョージア州という州がありますが、もともとのジョージア植民地はイギリス王ジョージ2世から名付けられました。
ちなみに新横浜とか新小岩って原理的には同じ理論ですよね。もともと大きな町があって、郊外に新興の地区を開発するという。
ただ新横浜が横浜の植民地ということはないですし、英語でニュー横浜とも言いませんよね。
ニュー横浜の街並み
広い道路、ゆとりのある都市設計はいかにも新興開発地区
Sengoku40 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18909503による
世界史
そしてオルレアン関連でおそらく最も有名なのがジャンヌダルク。
ジャンヌダルク 仏語だとJeanne d'Arc
小学生の頃は女なのか男なのかもよくわからなかったんですが、この少女かなりすごいです。
フランスの国民的なヒロインで、一度魔女として火刑に処されたカトリック教会からも今では聖女と認定されています。
そもそもジャンヌダルクの何が凄いかというと、彼女がいなかったら今のフランスが存在せず、フランスの場所がイギリスだったかもかもしれないんですよ。
1339年から1453年まで、1世紀以上にわたって百年戦争というとても有名な戦争がありました。イギリス王とフランス王が熾烈な戦いを繰り広げたんですが、イギリス軍はとても強かったんです。そしてフランス軍は重要拠点であったオルレアンを包囲されます。
百年戦争の重大局面、オルレアン解放時の状況
イギリス軍の強さの理由の一つとして、フランス軍との武器の違いがあります。
例えば、1346年のクレシーの戦いではイギリス軍は1分間に6回の連射ができる長弓を使ったのに対し、フランス軍は遅い弩(いしゆみ)を使った結果敗北しました。
クレシーの戦い(左:仏、右:英) 持っている武器が違うのがわかる
これって長篠の戦いでの織田信長と似ていますよね。
信長は火縄銃を扱う人間を3人1組にして二人が掃除をして玉を込めている間に一人が撃つことで連射を実現しましたよね。
長篠の戦い
また戦争以外の面でも百年戦争の前半頃は特に社会不安が増大していて、ヨーロッパ全土にペスト(黒死病)が大流行したり、イギリスではワットタイラーの乱、フランスではジャックリーの乱といった農民反乱が頻発します。
ジャックリーの乱
これらの出来事に見られるこの時期の社会の混乱はまとめて「14世紀の危機」と呼ばれています。
特に影響の大きかったペストは、最近のコロナ禍と同じ、いわゆるパンデミックです。当時のヨーロッパ人口の3分の1、何千万人という人が死亡したといわれ、歴史上最大のパンデミックでした。
Black Death(黒死病)と呼ばれた
百年戦争後半でもフランスの劣勢は続き、国王シャルル6世なんかはガラス妄想という精神病を発症し狂気王と呼ばれるなど厳しい状況でした。
その子シャルル7世も国内の反対勢力に実権を奪われ、ヴァロワ朝終焉の危機を迎えます。
発狂したシャルル6世
そんな状況で現れたのがロレーヌ地方のドンレミ村で生まれ、神の声を聴いたと言うわずか16歳の少女ジャンヌダルクでした。
ジャンヌダルク
シノン城でシャルル7世と面会、オルレアン奪還を促し、自身が先頭に立ちオルレアン解放を実現しました。このとき彼女は17歳。さらにランスでシャルル7世の戴冠を実現しました。
シャルル7世の戴冠式 歴代の仏王と並んだ
Tijmen Stam (User:IIVQ) - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1663849による
彼女の活躍によってヴァロワ朝は存続し、シャルル7世は王権を強化、フランスは国家の統合へと進んでいきます。
一方、ジャンヌはオルレアン解放後敵に捕らえられ宗教裁判にかけられます。この裁判で異端とされ、わずか19歳で魔女として火刑に処されました。
ヘルマン・スティルケの「火刑台のジャンヌ・ダルク」
私も現在19歳なんですが、19歳で死んだにもかかわらずはっきりと歴史に名を残したのはまさに偉業だと思います。
世界史全体を見てもこれほどの若さで明確に名を残してるのはかなりレアだと言えます(アンネフランクとかはパッと思いつきました)。私なんかまだ何も成し遂げられていないのでこれから頑張ろうという風に思いました。
百年戦争は1453年に終結し、1456年に復権裁判でジャンヌは無罪となりました。のちに彼女はフランス国民国家統合の象徴とされ、1920年にはローマ=カトリック教会が聖女と認定、聖ジャンヌ=ダルクとなりました。
こうした意味でオルレアンというのはフランスの中でも特別な場所なんですね。
以上、ヨーロッパの街紹介第2弾、フランスのオルレアンでした。
取り上げて欲しい街、特に世界史関連の内容を知りたい街なんかがあればぜひコメントにお書きください!
ちなみに第1弾はスペインのロンダを取り上げましたよ。崖の上にある街です。
谷にぶった切られた街ロンダ/スペイン【世界史的まち紹介①】
ご覧いただきありがとうございました。次回もご期待ください。
ではでは。
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